前回考察した柳 宗悦が提言している「仏教美学」という言葉には、大変深い意味があるように思われるのです。
「仏教思想と自己相似集合」の最終「仏教に関わって五年目の回想」で考察していますが、仏教の三法印と複雑系の科学との比較照合(表1)と「仏教美学」は、対応しているように思われるのです。
仏教美とは、人間の本来もっている感性が敏感に反応するであろう、@諸行無常すなわち変化するものの一瞬の状態、うつろいの美であり、A諸法無我すなわち永遠不滅の実体ではなく、縁起によって成り立つ現象の世界での、何らかの調和のある秩序が生まれ現れる美なのです。そしてB涅槃寂静は、Aの縁起によって形成される秩序において、特に人間の煩悩や執着を徹底して滅した、人間の認識が及ばない縁起いわゆる偶然によって生まれる秩序の美なのです。
すでに考察しているように偶然は人間の根源的な安心と、飛躍的な創造を生み出すものなのせす。これら@、A、Bを一括して一言でいうとしたら自然の美ということになるのでしょう。そしてこの根源としての決定論的カオスの美とも言えると思えるのです。
柳は、『「涅槃寂静」の理念は、西洋では理解が得にくい。』と記述していますが、これはBにおける人間の作為を否定した無作為を重視している点にあるのでしょう。
以上柳のいう仏教美学に対して、今回は西洋美術について少しふれておきましょう。時代は第二次世界大戦の終戦以後(1945〜 )に、ヨーロッパやアメリカで起こった前衛芸術運動についてです。
この代表的なものに、アール・アンフォルメル(仏語、Art Informel)があり、これはフランスの批評家ミシェル・タピエ(1909〜1987)によって提唱されたのです。アンフォルメルとは英語のinformal のことと思われますが、formal(形式的な)の否定をを意味します。
戦争という人間の煩悩や執着が引き起こした、この人間不信が未だ冷めきらない時代を背景に、人間がつくりだした形式や様式を否定して、一度白紙に戻そうという思想です。
時代はまったく異なりますが、「涅槃」での人間の煩悩や執着を徹底して滅するために、言語表現をことごとく否定したのと似ているとは思いませんか。
また、形式という人間がつくった枠組みから脱落(とつらく)して、全く束縛されない自由自在の境地ともいうべき、道元の「心身脱落」という言葉も印象深く思い起こせます。
アンフォルメルについては、現代美術に関する数多くの書籍において、一つのエポックとして説明がなされていますが、これらの一例として、中山公男 総監修「モダンアートの魅力」((株)同朋舎出版、1997年3月)を参考とし、この中での説明の言葉(中村隆夫)と仏教思想を対比したものを、下表(表1)に示します。
この表で、(1)は、上記の説明でだいたい推測できると思われますが、仏教の中道に対応する「具象でもなく抽象でもない、もう一つの別の絵画」とは、従来の幾何学的な抽象いわゆる「冷たい抽象」に対して、自己の衝動的な動きを画面いっぱいに表現する「熱い抽象」といわれる抽象表現主義などを意味しています。(2)、(3)の説明はこれ以降でします。
ヨーロッパのアンフォルメと同じ分類に属するアメリカの抽象表現主義の中で、その主要なアクション・ペインティングの創始者であるジャクソン・ポロック(1912〜1956)について説明します。
ポロックは、カンバスを床面に敷き、絵筆や穴のあいた容器を用い絵の具を飛び散らしたり、絵の具を滴らせながら、自己がカンバス全体の上を動き回り、絵具の飛散や滴りの軌跡模様を描く技法を開発したのです。
ここで注目すべきは、従来の描画法は、自己の前面にカンバスを対置し、自己から対象を見るという立場なのですが、ポロックの場合は、カンバスの絵の中に入り込み、描く絵と一体化して没我の状態で絵を完成していくということです。従来と視点が全く異なり、絵の中に入り込んでる自己を大局的な視点で見ることであり、これはまさに仏教思想での主客合一を実践するような技法なのです。
さらに注目すべきは、このような技法で生み出された作品についてです。従来の絵画は、普通カンバスの中央付近に主題(モチーフ)が描かれ、その周囲はこれを引き立てるための背景が描かれるのです。すなわち主と従が明確なのです。ところがこの技法で描かれた模様は、カンバスのほぼ全体にわたって均質に近く、同じような模様で一面に埋め尽くされているのです。このような均質に画面全面を覆うようなスタイルは、オール・オーバー・ペインティング(All-Over Painting)と呼ばれています。これはまさに華厳思想の世界観である、一切の関係性を表す網の目構造であり、どの部分をとっても時と場合で主となり従となりうる、いわゆる中心が存在しない無中心構造なのです。
そしてこれは、部分が全体であり、全体が部分であるという「一即多、多即一」のフラクタル構造・自己相似集合図形に近いものなのです。
仏教思想の一体化をイメージさせるような技法で、生み出された結果としての模様が、仏教思想の世界観に合致するとは、まさに驚きなのです。
このようなアクション・ペインティングの技法を、道元「現成公案」の巻きの有名な一節『万法に証せられるといふは、自己の心身および他己の心身をして脱落(とつらく)せしむなり。』に対応して解釈ができそうです。
「自然の法則のはたらきによって、その証(あかし)としてカンバス上に何らかの美が現れるのは、自己(自身の描画行為)と対象(カンバスの模様)とが一体化して融合した状態のときである。」ということなのでしょうか。
なお、ジャクソン・ポロックの絵は、インターネット上で検索すれば、容易に見ることが出来ます。奥行きがあり、動的でもあり、何らかの調和があり心地よさが感じられる作品です。
前回、柳 宗悦のいう西洋美学に対する仏教美学の特徴を説明する「言葉としての美醜が生まれる以前」について考察しましたが、注目すべきは、表1のアンフォルメルを説明する言葉の一つとよく似ていることです。
これは柳の民芸運動についてもいえるのです。
タピエがアンフォルメルを提唱する切っ掛けをつくった画家の一人であるジャン・デュブュッフェ(1901〜1986)は、アール・ブリュット(原生芸術、生(なま)の芸術)の提唱者なのです。ブリュット(仏語、Brut)とは、(原材料などが)自然のままの、とか(情報などが)未処理のままのという意味です。
デュブュッフェは、子供や未教育の職人あるいは精神病障害者などがつくる作品に,純粋(素朴)で自由な美があることに気づいたのです。そして彼はこのような作品を数多く収集しはじめるのですが、この時期が第二次世界大戦直後といわれています。
柳 宗悦が初めて朝鮮に旅行して、朝鮮での工芸の美に触れたのが大正五年(1916年)ですから、柳が世界で初めて無名の職人の工芸の美に気づきそれを世に知らしめる運動をしたといえるのでしょう。
ヨーロッパやアメリカでの前衛芸術運動は、当然日本にも伝わってきているわけで、日本でも戦後まもない1954年に、関西の抽象美術の先駆者である吉原冶良と阪神在住の若い美術家たちで結成されたグループがありました。その名は「具体美術協会」であり、「われわれの精神が自由であるという証を具体的に提示したい」という思いが込められているのです。
1957年に来日したミシェル・タピエは、「具体」の活動を見て驚き、これこそが戦後という新しい時代の芸術運動だと絶賛したといわれています。
当時の多くのヨーロッパ人の目からすれば、日本は敗戦国でありまだまだ文化的水準は低いと見ていた訳ですし、いみじくも柳が指摘しているように「涅槃の境地」など知る由もないのですから、日本人がアンフォルメルの思想を容易に理解し、これに十分匹敵する作品が数多く存在していたことに、タピエは驚嘆したのでしょう。
逆に日本の芸術家からすれば、フランスの偉大な芸術批評家から自分たちの作品が評価され、これらが世界に紹介されたのですから、歓喜してタピエを歓迎したのでしょう。そして日本中でいわゆる「アンフォルメル旋風」が巻き起こったのです。
しかしこれらの事情は、表1を見れば明らかなように、当然といえば当然のことだったのです。
このように歴史は、後から振り返って見れば、必然として解釈できるのです。ただし当時としては、偶然の要素が大きかったはずです。必然と偶然は認識の度合いによって定まるのです。