今回は、今までの考察の総括をもかねて、仏教思想と西田哲学と複雑系の科学の関連を考察します。
また前回の(14)では、絶対矛盾的自己同一すなわち自己の内面の状態は、単純ではなくいろいろな矛盾が共存している非線形性であることを考察しましたが、今回は自己を含む人間の集まりとしての世界も、非線形であり、これが画期的な文化や伝統を生み出す原動力となることを考察します。
今回も「仏教思想と西田哲学を「通信と制御」の視点から見る」のシリーズとして、通し番号を付けて考察します。
下図にそれぞれの本質をとらえる思考の共通の世界を表示します。ここで(A)と(B) に分割したことは、大きな意味はなく、わかりやすく説明するための方便で、本来は一つのものです。
(A)は「華厳経の風景」の前半の部分に対応するもので、華厳思想を中心としたものであり、(B)は後半のエピソード編以降のもので、仏教をやや広い視点から捉えたものに相当します。すなわち同じものを、(A)はややズームインの視点で捉えたもの、(B)はややズームアウトの視点で捉えたものです。
華厳経での蓮華蔵(れんげぞう)世界は、蓮華の中に毘廬舎那仏(びるしゃなぶつ)を中心に無数の宇宙を蔵し、そしてそれぞれの宇宙の蓮華の中に仏が存在しその周囲に無数の宇宙を蔵するという構造です。この世界では「規模・大きさ(スケール)」に執着する必要はないのです。これは部分と全体との関係性のみの形態、構造の世界で、固有のスケールがない世界です。
これを「自己相似性」といい、ズームイン(拡大)しても、ズームアウト(縮小)しても、似たように見えることを意味します。
さて、仏教思想の究極の目標が自己の究明(己事究明)にあるとすれは、自己が関与する領域、すなわち現実の世界が、仏教思想の世界なのでしょう。そして修行によって、真の自己あるいはその世界の中に仏の世界が相似的に映し込まれるのです。
そしてこの現実の世界は「重重無尽」の縁起のような、世界を構成する自己を含む人間どうしの間の相互作用が強く関係しあう世界なのです。
次に西田哲学ですが、(7)で引用していますが、『我々がここに於いて生まれ、ここに於いて働き、ここに於いて死に行く現実の世界・・・』とか『世界が「我々の自己の居る場所」であり、・・・』といっているように、西田の世界も現実の世界です。
そしてこの現実の世界は、情報の流れとしてのフィードバック回路、西田のいう「行為的直観」の世界です。この「行為的直観」の世界には、下記の三つの「限定」の作用があります。
@は行為的直観、別な言葉で言えば絶対矛盾的自己同一として自己自身を形成する作用で、自己が発展すれば世界(一般者)にも影響を及ぼすでしょう。Aは自己と他者や他者と他者とが互いに働きかけ、影響を及ぼしあうことで、これで自己も他者も発展し、これによって世界にも大きく影響を及ぼします。
Bは一般者(世界)の自己限定ですが、世界の構成要素である自己や他者が@、Aで発展すれば、それによって世界も限定され発展することになります。
(14)で引用した西田の「絶対矛盾的自己同一」のはじめの部分の表現、現実の世界は「多の一」で、「個物と個物との相互限定の世界」でなければならず、自己を世界に置き換えた意味での「絶対矛盾的自己同一」であるといっています。
さらに(16)の表1の脚注*) で引用しているように、これは「弁証法的一般者としての世界」の(九)の文章なのですが、「個物的限定即一般的限定、一般的限定即個物的限定」とか「個物的なるものが一般的なるものから限定されるとともに、逆に一般的なるものを限定する」と記述しています。
この記述のように、発展し変化した世界から逆に個物が限定されるのです。すなわち一般者の自己限定とは、個物が一般者を限定するとともに、その次の段階として一般者が個物を限定することを意味しています。
以上のような三つの限定の過程から、世界や自己は形成され発展していくと西田は主張しています。
最後は複雑系の科学です。「華厳経の風景」での主要な参考文献として記した中村量空 著「複雑系の意匠」(中央公論社、1998年10月)の一部を引用させていただきます。
『複雑系科学が対象とするのは、進化する生物のように、不確定なゆらぎを経て自己組織化し、変異しながら発展してゆくシステム(系)である。このシステムの複雑さは、物質系や機械論的なシステムとは異なり、部分的な相互作用とシステム全体の変異が相互に影響を及ぼしあうという連結構造に起因している。』とし、『華厳のパラダイム』の視点ともいうべき、『空間的な広がりの中で、部分が全体を形成し、時間的な流れを通して、全体が部分に反映する。』という構造であると記しています。
以上、華厳教の世界といい、西田の哲学の世界といい、複雑系の科学の世界によく似ていると思いませんか。
なおわかりやすいように、世界と自己を区別して説明していますが、西田の言葉を借りれば、「自己の中に自己(世界)を映す」で世界と自己とは相似の関係にあるのです。仏の世界と真の自己あるいはその世界が相似の関係として扱われるように西田の哲学でも、現実の世界と自己は相似として扱われ、複雑系でも現実の世界(自然現象・社会現象)と人間(生物)とは考え方としては相似的に扱われるのです。このような全体と部分の関係(構造)が、「自己相似集合」の世界観なのでしょう。
自然界において、何かが限りなく増大するとか、限りなく減少していくことは、きわめてまれなことなのです。普通は何らかの上限や下限が存在し、それに近ずくと反対の作用が増大し、それを抑制しようとするのです。このような作用は、何かが長期間存続するための基本的な条件なのでしょう。
すなわち物事を促進させる正のフィードバックと逆に抑制する負のフィードバックの両方の機能が兼ね備わっていないと、この世の中では存続できないのです。
人間が心身ともに安定で健全を維持するためには、西田のいう「矛盾的自己同一」という概念は、精神的にも身体構造的にも必要なことなのです。
このような現象を「非線形性」ということについては、前回の(14)と(15)で考察しました。
今回はこれと少しニュアンスが異なる「非線形性」について考察します。これは全体の性質と部分の性質との関係についての「線形」、「非線形」です。ここで全体を構成する個々の要素の性質を単純に重ね合わせると全体の性質が形成されるのが「線形」を意味します。
ところが人間の頭脳のように、記憶している個々の事柄や概念からでは考えられないような新たな概念を生み出せるのです。このように要素の集合で全体の性質を表現できないのが、「非線形」ということです。
この線形と非線形とを分ける原因は、全体を構成する個々の要素間の関係性(相互作用)の強弱にあるのです。この関係性が強いということは、要素間の相互で協調や反発が生じることを意味し、要素間でも促進と抑制の機能が働くということです。
そしておそらく協調がやや過熱ぎみに広く波及した状態で、個々の要素の性質からは容易に考えられないような創造的な性質が全体に現れるのでしょう。これを複雑系では「創発」といいます。
このように「非線形性」と「創造」とは密接な関係にあるのです。また西田哲学でいうと「個物と個物の相互限定」という言葉が重要な意味を持つことになるのです。
図14の(A)に表現した共通の世界として、「構成要素間の相互作用が強く関係しあう世界」としていますが、この世界では、自己を含めそれぞれ主体性を持つ多様な人間どうしの相互作用が強く働いているのです。
一般に創造力を育むための方策として、異なる文化の人たちとコミュニケーションすることが大切といわれています。この理由は、全く関係がないと思われていた二つの事象が結び付くことに気がつく機会が増大するからです。これが複雑な結果を生起する非線形な関数(縁)になるのです。
以上、多様な人間どうしの相互作用が強く働いている世界は、創造的な文化や伝統が生まれる可能性が大きく、このような世界を非線形な世界、西田のいう「創造的世界」というのでしょう。
最後に、このシリーズで扱ってきた「情報」の言葉の意味とは何なのかを、月尾嘉男 著「贅沢の創造」(PHP研究所、1993年4月)の一部を下記に引用させていただきます。
『「情報」という言葉で表現される内容には、相互に反対といってもいいほど相違した性質をもつ二種の概念が混在している。一方を「報的情報」、他方を「情的情報」と命名すれば、「報的情報」は報道や報告という熟語が暗示するように、客観・正確という性質が重視され、新聞の記事のように迅速に伝達されることが重要である。・・・
それと対照に「情的情報」は事情や実情という熟語が示唆するように、主観・曖昧という特徴をもち、事件から数週間後に発表される雑誌の論文が評価されるように、迅速に伝達されない場合にも有用である。その価値は多数の人間が共有するほど向上するという構造になっている。それは「情的情報」の役割が組織内部に共通の意識をもたらしたり、社会全体を一定方向に誘導したりというように、共感の基礎になることであるからであり、・・・』
この引用文からわかるように、(17)と(18)で考察した世界や自己の形成、いいかえれば、西田のいう三つの限定に、情報の流れが決定的な役割を果たしているのです。そしてこの情報の流れの基本経路は、(7)の図5や(10)の図7のフィードバック回路で表現できるものと思われます。