「涅槃」=「混沌」=「墨流し」

混沌に潜む美

「方丈記」の有名な最初の一節『ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある、人と栖(すみか)と、またかくのごとし。』は、中性の乱世を背景にして書かれた随筆です。

世の中が混乱しているときの様相や変化を水の流れで表現していることに重要な意味があるのです。鴨 長明は、水面に描かれた流れの模様に、天変地異と動乱の続発の様相を見ると同時に、うつろい(無常)の美を感じ取ったのでしょう。そしてこれは、第二次世界大戦終戦の混乱の直後に起こったアンフォルメルの思想や技法にも相通ずるようにも思えるのです。

われわれの日常生活において、河の流れの変動や大気(気象)の変動のように、不規則で予想ができないような現象は、きわめて多いのです。これらの原因として、従来は「多くの要因が複雑に関係している世界」を想定するのみで、それ以上の追求はできなかったのです。

近年では,電脳によって複雑系の科学が発展して、もう少し具体的に、これらの主な原因は決定論的カオスであるとしています。カオス(Chaos)は「混沌」という言葉で、無秩序の意に解釈される場合が普通なのですが、混沌は両字とも偏がさんずい(三水)で、水などの流体に関係しているとも考えられます。

漢字の意味は前にも参考にしましたが、藤堂、松本、竹田 編「漢字源」を参考にします。これによると、「沌」は「水+音符屯」で、屯はたむろする意で、水がぐるぐるめぐって、とどこおるさまのことです。よって混沌からは、水面に落ちた紅葉が、水と共にぐるぐるめぐって、とどこおるさまの美をイメージすることもできるのです。

水の流れにしろ、大気の流れにしろ流体の流れには、みなさんご存じのように大別すると、層流と乱流とがあるのです。層流は流体粒子の整然とした移動であり、秩序を意味します。しかるに流速が速くなったり、流れの一部に障害物があると、整然とした流れは不可能となり乱雑となる乱流は、無秩序を意味するのでしょう。ところがこの乱流になる状態では、渦の形成という混沌の美が潜んでいるのです。そしてこの渦の形成過程では、決定論的カオスに近い状態であるといわれています。

すなわち、混沌(無秩序)には、「不規則で予測不可能」と隣り合わせに「何らかの秩序の美」が表裏一体で存在することの意が含まれているようです。

この流体による混沌とした状態に潜んでいる決定論的カオスの美が、この「涅槃寂静の世界」のシリーズの主要なテーマの一つとなるのです。

前々回で考察していますが、人間はきわめて長い期間、自然から影響を受け、自然を構成する各要素は、気象によって影響を受け、気象は決定論的カオスといってもよく、自然の根源は決定論的カオスなのです。そして人間が最も敏感に反応するのは、この自然の美なのです。

前回はアンフォルメル芸術についてで、その主要な特徴でもあるアクションペインティングは、流体の流れのおのずから成るの自然の法則を利用した、偶然を重視した技法を用いることでした。このような技法において、形式(秩序)を否定した混沌の状態には、決定論的カオスの美が潜んでいるのです。

今回はこれらの続きとして、美の根源としての決定論的カオスの美を最も簡単に生み出す方法を考察します。

決定論的カオスの美を生み出す最古の技法

鴨 長明の河の流れの観察からもわかるように、決定論的カオスを日常の生活で見ることができるのは、流体の混沌とした状態なのです。わかりやすい例は、熱いコーヒーにミルクをたらしたときに生ずる表面の模様などです。

このような複雑ではあるが何らかの秩序のある美を、紙に写し取る技法の一つが「墨流し」なのです。

この墨流しの技法は、中国の唐王朝(618〜906)の頃、流し絵模様の陶器が発見され、中国で発祥したものとされています。そして中国から日本に伝来したものと考えられ、平安時代(794〜1185)の後期には、貴族の間で短歌を書く紙の背景としての模様として用いられていたとのことです。

この技法は、広く平たい容器の中に水を入れ、水面に墨汁をたらしてそれを吹き乱すとか、筆に墨汁をつけて水面ですばやく動かすなどして、墨汁の局部的な表面流や拡散によって生ずる模様を、水面に紙をあてて染め付けるのです。

このような墨流しの技法で生み出される作品は、混沌という言葉にふさわしく、中国や日本的な美ともいうべき、もうろうとした寂静の美が潜んでいるように思えるのです。

当然のことながら、この技法は中国から中央アジアを経由してヨーロッパへも伝わった訳で、とりわけ西洋と東洋の接点ともいうべきイランやトルコで「エブル」という名で、14世紀頃から独自の発展を遂げ、花開いたといわれています。そして17世紀頃に、トルコを訪れたヨーロッパの旅行者によって、「エブル」の大理石のような模様など、素晴らしいデザインの美術として、ヨーロッパに伝えられ、現在一般に知られている技法「マーブリング」となったとのことです。

以上、墨流しやエブル(マーブリング)の知識は、インターネット上の検索で得られた、駒崎加奈さんの東京外国語大学卒業論文「「トルコのエブル(マーブリング)」について−歴史・技法・用途」を主に参考にさせていただきました。

「涅槃」・「泥洹(ないおん)」の漢字の意味

涅槃とは、梵語ニルヴァーナ(吹き消すこと、消滅の意)の音写であるといわれています。したがって涅槃という漢字自体の意味は、調べても意味のないことなのですが、個々の漢字の本来の意味を調べると大変興味深いのです。

涅の漢字の意味は、「水+土+音符日」で水中にある黒土の意で、黒いねば土、あるいは黒く染めることです。黒いねば土とは墨のことでしょう。槃は「木+音符般」で、平らに開いた木の鉢(はち)、たらいのことです。

これは偶然の巡り合わせかもしれませんが、涅槃には、墨流しのときに用いる墨と水を入れる広くて浅い容器に対応する意味があったのです。

それでは、涅槃と同意語である「泥洹(ないおん)」については、これもニルヴァーナの俗語形の音写といわれていますが、泥は涅と同系で、黒いねば土のことであり、洹は、勢いよく流れる、拡散するように流れるの意味であり、これも水に墨が勢いよく流れる、拡散するように流れることで、墨流しそのものなのです。

墨と水の混合(一体化)の過程においては、動的な流れの乱れと拡散作用によって、水面に形成される模様は、時間の経過とともに、もうろうとした混沌状態になるのですが、そのどの一瞬を紙に写し取っても、まさに水墨画の世界であり、長谷川等伯の松林図屏風のような静寂な美を感じさせるのです。

墨流しのもうろうとした混沌の世界と涅槃寂静の世界とを単なる偶然の一致で終わらせることなく、新たな進展に導くのが、偶然の重要性を主張するこのシリーズの役割なのです。

生き生きと生きる / 無住処涅槃

涅槃のニルヴァーナの意味から考えても、例えば、ろうそくの火の煩悩の炎を、吹き消したときに、空気中に立ちのぼる黒い煙のゆらぎの模様は、空気と煙(すす)の流れによる混合の様相であり、気体と液体の違いはありますが、この場合も墨流しそのものなのです。

梵語のニルヴァーナを涅槃と漢訳した人が、ここまで考えていたかどうかは知る由もありませんが、いずれにしても以上の考察から、「涅槃=混沌=墨流し」と考えられるのです。

それではなぜこれらの言葉が等号で結べるほど密接に関係するかを、こでは別の視点から考察します。

涅槃にはいろいろな種類があるようですが、このシリーズは仏教思想を現代での自利利他に適用するための考察ですから、少なくとも肉体をも滅した永遠の寂静の境地は問題外なのです。

涅槃寂静の世界に、いつまでもとどまらないことを無住処(むじゅうしょ)涅槃というようです。

生き生きと生きているという証(あかし)は、精神的にも肉体的にも新陳代謝が活発に行われていることであり、「消滅−混沌−新生」が繰り返されていることなのです。すなわち生物においては、ある状態にいつまでも定着しているということは、死を意味することなのです。

「空」などの解釈においても消極的であってはならないのです。そこで涅槃のニルヴァーナを煩悩を消滅することで、寂静が生まれると考え、そして墨流しを、二つのものの混合(一体化)によって新たな何らかの秩序が生まれると考えると、涅槃・混沌・墨流しのそれぞれの言葉には、「ある状態が消滅して、新たな状態に変遷する過程での、混沌を介しての新たな秩序の芽ばえ」の意味が内包されていると考えられるのです。

この視点は、二つのものが一体化する過程、あるいは道元の「脱落」の過程すなわちある束縛された状態を脱して自在な境地に落ち着く過程、などの仏教思想にも通じる自然の道筋なのです。

この「消滅−混沌−新生」は、鴨 長明の観察『淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。』そのものなのです。

2010.11.14