現代は「戯論(けろん)」の時代

竹村牧男 著「インド仏教の歴史、「覚り」と「空」」((株)講談社、2004年2月)の中の『戯論寂滅の世界』という項目に、『(涅槃とは)一切の知解(ちげ、獲得・対照的知識)が滅し、戯論が滅して、寂静なる(境地)である。』と記されています。この「戯論」という言葉が、私の頭に印象として残っていたのです。

十二縁起のような縁起の連鎖として、一般によく知られている「風が吹けば桶屋が儲かる」というのがあります。これを真実だなどと思う人は誰もいないのであり、言葉遊びの領域なのです。こういうのを言うのかな、と思っていた矢先、偶然にも大変興味深い情報に遭遇することができたのです。

私は映画「となりのトトロ」以来スタジオジブリの作品のファンなので、ジブリについての情報には敏感なのです。偶然に遭遇できたのは、毎週日曜日にTOKYO FM 放送で、ジブリの鈴木敏夫さんがゲストを招いて対談する「ジブリ汗まみれ」という番組で、今年の4月26日に野球評論家の権藤 博さんを招いての対談でした。

この対談のあと、鈴木敏夫さんは、『理由と言い訳の時代』と題して、次のようなコメントを残しています。

『今みんなが、インスタントになにかを説明しようとする。なんでソレが起こっているのか? どうしてアレが人気なのか? なぜコレが好きなのか? あらゆる人があらゆることの因果関係を分析する。なにかを説明しないと不安になる時代。そんなとき、権藤 博さんに出会いました。野球評論家なのに、なにも評論しない。この人の話には理屈がない。 いま俺はこんな風に生きられるか? 悩みました。』

対談の中で、鈴木さんが権藤さんに、いろいろ分析や論評を語らせようと働きかけるのですが、権藤さんは『勝負事はわかりません』といって、評論に関しては口数が少なかったのです。

テレビでの野球などのスポーツ中継で、評論家は言葉による縁起(因果関係)を十二分に使いこなして、あたかも理路整然と説明することで、これを観戦している数多くの人々を納得させることが、評論家としての評価になるのでしょう。スポーツ観戦は遊びの領域ですから、おもしろおかしく多くの人が一時でも納得できれば、それで良いのですが、少しさめた目で見ると少し異常なのです。

プロ野球のように各選手の技能が伯仲している場合は、勝負は時の運なのです。すなわち「偶然」が大きく支配するのです。これを因果関係で解決できると考えることが、妄想なのです。

普通スポーツの解説の多くは、「あの時、あの選手が、あのような因あるいは縁の動作をしなかったなら、このような結果にはならなかったのに」という事後的な解説であり、結果を知った上で、それに当てはまるような因と縁を、それまでの経過から見つけて、因果関係として説明したにすぎないのです。

これは単なる理由付けであって、結果を事前に予測するものではなく、あまり意味があるとは思えないのです。

言葉には、意味の面で一般的に許容範囲が広いものであり、そのためあいまいな部分が存在するのが常なのです。故に言葉による縁起(因果関係)は、数学における関数ほどの厳密さはないのです。

現代人は何らかの事象が起こったとき、「ありのまま」に受け容れることをしないで、何だかんだと自分勝手な理由をつけて、納得したり反発したりするのです。言葉による縁起では、縁は考えればいかようにでもなるので、自分に有利な結果になるような縁を選ぶことも可能なのです。

もし現代において、このようなその場しのぎの戯論を一切消滅できたら、さぞかしこの世の中は、静寂と落ち着きを取り戻すことができると思うのです。

以上、因や縁を正しく認識しないと、その結果は誤った分別になり、戯論になるのです。また人間の認識能力では、因や縁を認識できない場合も多いのです。このような場合に起こる結果を「偶然」というのですが、このために縁起(因果関係)やその連鎖の順方向・逆方向の考察で、一切の問題が解決できると考えることは妄想なのです。

野球の専門家としてはあまりにも素朴な言葉『勝負事はわかりません』は、権藤 博 投手の現役時代の体験がにじみ出ているもので、「偶然」の重要性を考える上で、貴重な言葉なのです。

戯論が遊びの領域や言葉遊びで済んでいるうちは問題ないのですが、現実の社会すなわち政治や経済においても、同じ様なことが言えるのです。

現代の情報化社会において、因や縁についての情報は豊富に提供され、総ての物事が合理的に運営されているような錯覚を我々は抱いているのです。しかし少しさめた目で周囲を見渡すと、全く不合理なことが堂々とまかり通っていることが多いのです。

一つの例として、情報が公平でなく偏った場合です。政府や企業が、都合の良い情報は広く公表して、都合の悪い情報はそのままに放置しておくだけでも、国民が正確な因や縁を究めることを不能にするものであり、多大な損害を受けるのです。

2010.6.6